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おはようございます🌤
今回は、今話題のテーマ「Z世代の幸福の定義」について掘り下げてみたいと思います。
まず、Z世代って?
Z世代とは、1990年代後半〜2010年頃に生まれた世代を指します。
現在、10代後半〜20代半ばくらいの若者たちですね。
物心ついた頃からインターネットやスマホが存在し、SNSやYouTube、
サブスク、リモート、ジェンダーフリー、SDGsなど、情報と選択肢に溢れた環境で育ってきました。
「効率よく、でも自分らしく」
そんなバランス感覚を持ち、価値観も多様で柔軟。
だからこそ、Z世代の“幸福”の定義は、過去の世代と比べてかなり変化してきています。
「正解」よりも「納得感」
昭和・平成初期の時代、幸福とは「いい大学→安定した就職→結婚→マイホーム→老後安心」
のような“人生のテンプレ”に乗ることが安心とされていました。
でもZ世代は違います。
大切なのは「自分で納得できる人生かどうか」。
SNSでさまざまな生き方や価値観を見てきたZ世代にとって、
「正解のある人生」より「自分なりの納得解」を探すことの方が重要なんです。
Z世代が感じる「幸せ」の瞬間とは?
① 好きなことに夢中になれている時間
→ ゲーム、推し活、アート、音楽、動画編集、DIY…
趣味や好きなことにどっぷりハマれる時間は、Z世代にとってかけがえのない「幸せ」。
評価や効率より、「今この瞬間、楽しめてるか」が基準です。
② 心地よい人間関係
→ 無理に大人数で群れなくても、気の合う数人で深くつながれればOK。
「安心できる」「否定されない」「自然体でいられる」関係こそがZ世代の幸せの土台。
③ 精神的な自由
→ 他人と比べず、自分のペースで生きられること。
「〇〇すべき」よりも「私はこれでいい」が通じる環境で生きたい、という願いが強いです。
幸福の定義は「変化してOK」
Z世代の幸福観には「柔軟性」があります。
・高校生のときは「部活で活躍するのが幸せ」
・大学では「好きな分野を研究できるのが幸せ」
・社会人になると「心身が健康で暮らせるのが幸せ」
…というように、その時々で“幸せのかたち”は変わっていい。
むしろ、「変わること=成長」だと自然に受け入れられるのがZ世代の特徴。
幸せを「定義しない自由」もある
さらに最近は、「無理に幸せを定義しなくていい」という考え方も支持されています。
「何が幸せかなんて、決めなくても、今いい気分ならそれでいい」
「今日の空がきれいだった、それで十分」
というミニマルな感覚がZ世代にはしっくりきたりもします。
SNSが与える影響
Z世代の幸福観に大きく影響しているのがSNS。
SNSにはポジティブな影響もあれば、ネガティブな面もあります。
-
共感の力:「自分だけじゃない」と思えることで救われる
-
情報の多様性:さまざまな生き方や価値観に触れられる
-
比較による不安:「あの人みたいになれない」プレッシャー
このバランスの中で、「自分らしい幸せ」を模索する力が求められます。
じゃあ、「Z世代的幸福」って一言で言うと?
「自分が納得できる生き方ができていて、安心して過ごせること」
これがZ世代にとっての“幸福の本質”かもしれません。
人と比べすぎず、自分の心の声に耳を傾けながら、
ゆるやかに、そしてたまには立ち止まりながら歩んでいく。
そんなスタイルが、これからの時代のスタンダードになっていく気がします。
あなたにとっての「幸福」って何ですか?
答えはひとつじゃないし、途中で変わってもいい。
だからこそ、ゆっくり考えてみてもいいのかもしれませんね。
それではまた次の投稿でお会いしましょう〜
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~
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社会人になって、もう数年が経ちました。
学生時代とは違って、日々の生活は「自分の責任で動く」ことの連続です。
朝起きる時間から始まり、仕事の進め方、
人との関わり方、お金の使い方、休み方まで、
すべて自分で選び、行動して、結果が返ってきます。
そんな中で、僕が社会人になって特に強く感じたのは、
「自分にしかできないこと」を持つことの大切さです。
そしてもう一つ、「他の人が帰って休んでいる時間にどれだけ自分に向き合えるか」が、
未来の自分を作っていくということ。
今日は、そんな自分の気づきを少し言葉にしてみたいと思います。
「仕事」は「やることリスト」じゃない
学生時代、課題やテストは「やることリスト」みたいなものだったと思います。
出されたものを、期限内に提出して終わり。
でも社会人になると、目の前の仕事は終わらせるだけじゃ足りません。
例えば僕は建設業界の「積算」という業務を担当しています。(まだ勉強中です笑)
見積もりや原価の計算、コスト管理など、いわゆる「裏方」で支える仕事。
これをすることにより、公共工事の入札金額を決めることができ、
落札できると、仕事を取ってくることが出来るんです。
地味だけど責任が重い役割です。
この仕事をやっていて思うのは、「ただやる」だけでは足りないということ。
設計した人の意図を汲み取り、一つ一つ金額を積み上げていき、
一つも間違うことが許されない。
そんな緊張感のもとやっています。 ←この緊張感大事
これって、どの仕事にも共通することじゃないかなと思います。
ただの作業を「仕事」に変えるのは、自分の視点と想像力です。
今、皆さんの仕事 緊張感ありますか?
常に考えて行動してますか?
思うところがありましたら今からでも変えてみてください😁
「人が休んでる時にやったこと」は、必ず自信になる
そしてもうひとつ。僕が社会人になって本当に良かったと思うのは、
「人が休んでる時にやったこと」が、ちゃんと自分の中に“成果”として積み上がっていること。
現場の仕事が忙しい時期、現場が動いていない夜や休日に、
一人でこつこつと積算と向き合い、数字を見直していたことがあります。
もちろん、誰に褒められるわけでも、報酬が増えるわけでもない。
けれどあの時の積み重ねが、今の自分の“確実な土台”になっていることを、ふとした時に実感するんです。
それともうひとつ、僕はその合間にブログも書き続けていました。
周囲が帰宅してNetflixやゲームでリフレッシュしている時間。
僕は自分の思考を言葉にして、深夜までPCに向かっていました。
最初は全然読まれなかった。でも、続けているうちに少しずつ読者が増え、
いつしか「ブログ面白かった!!」「もっと更新してよ!」「このkouって人誰?」
と感想をもらったりするようになったんです。
嬉しいですね(笑)
この「誰も見ていないところで努力すること」の価値って、
社会人になって初めて本当の意味で分かりました。
「自分だけの強み」は、ある日突然光る
人と比べることは簡単です。
同期の中で昇進が早い人、要領の良い人、プライベートも充実してそうな人…。
正直、焦ることもあります。
でも、自分が選んだ「積算」というちょっと地味な仕事、
そして「ブログ更新」という一見無関係な趣味。
この2つを真面目に続けていたことで、ある時「あれ?これ、意外と他の人にはできないことかも」
と思う瞬間がありました。
実際、誰かに仕事を教える時、ブログで鍛えた文章力が活かされていると感じます。
もともと人と対面して話すのが得意な方ではなかったので(笑)
「自分にしかできないこと」は、最初はただの「好きなこと」「得意なこと」かもしれません。
でもそれを人が見ていないところで磨いていたら、ある日突然、ちゃんと光るんです。
社会人になって感じた「幸せ」の形
社会人生活は、決して楽なものではありません。
でも、責任と自由の中で、「自分の人生を自分で作っている」という感覚が少しずつ育ってきたのは、
確かに幸せなことだなと感じています。
忙しくても、ちゃんとご飯を食べて、
週末に好きな本を読んで、
ふとした瞬間にブログを書く。
たまに何百人もの人に読まれて驚いたり、「また更新楽しみにしてます」なんて言われることがあったり。
そのすべてが、自分の人生の「手応え」になっています。
最後に
社会人になるって、ある意味では“孤独な戦い”です。
でもその中で、
自分だけの武器を持って、自分だけの時間の使い方をして、
自分だけの道を進んでいけたら――
それはとても強いことだと思います。
あなたにしかできないことは、きっともう始まってる。
そのことに気づけたら、社会人って案外悪くないかもしれません。
これを読んでくれてる新社会人の皆さん
きついことも沢山あると思います。
ですが、自分らしさ、自分にしかない武器を見つけて、行動すると
これからの人生180°変わると思います🍀*゜
頑張っていきましょ〜💪🔥
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます😊
また見に来てください!!
それではまた次の投稿でお会いしましょ〜
アデュー!! (~ ̄▽ ̄)~
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おはようございます!
何もしてない日が一番幸せだったりする
何かを成し遂げた日、目標を達成した日、
予定を詰め込んで走り抜けた日──
そんな日はもちろん、充実していると感じます。
でも、ふとしたときに思うんです。
「今日、一日なにもしてない。でも、なんか幸せかも」
そんな日が、案外いちばん心に残ったりしませんか?
なにもしないこと=悪いこと、じゃない
僕たちはつい、「なにもしていない自分」を責めがちです。
SNSを開けば、誰かが旅行に行き、勉強し、
副業に励み、自炊のレパートリーを増やしている。
そんな投稿を見ていると、つい自分を比べてしまいます。
「今日は寝てばっかりだった…」
「ダラダラして、何の成果もない…」
そう落ち込んでしまう人も少なくないはずです。
でも、実は“なにもしない時間”って、僕たちにとってとても大切なんです。
脳は「ぼーっとしてるとき」に整理される
心理学や脳科学の研究では、意識的に活動している時間よりも、
“ぼーっとしている時間”のほうが脳の情報処理が進んでいることがあるとされています。
いわば、何もしてない時間は「心の掃除」や「脳のメンテナンス」。
リラックスして、散歩したり、空を見たり、コーヒーを飲んだりしているときにこそ、
アイデアが浮かんだり、自分の本音に気づけたりします。
焦って詰め込むより、一度手を止めて“空白”をつくること。
それは、自分自身と向き合うための、大切な「余白」なのかもしれません。
幸せって、特別なことじゃない
日常の中にあるささやかな幸せ。
・昼過ぎまで寝て、静かな午後に目が覚める
・カーテンの隙間から光が入って、部屋がぽかぽかする
・お気に入りの紅茶を飲みながら、何も考えずにYouTubeを眺める
・ベランダでぼーっと空を見上げる
こうした時間って、「何をしたか」よりも、「どう感じたか」が大事なんだと気づかされます。
生きていくうえで、成果や努力はもちろん大事。
でも、「幸せ」は、いつも隣にあるものかもしれません。
“何もしない”を、もっと堂々とやっていい
たまにはスマホも閉じて、誰にも連絡せず、予定も立てず、
「今日はなにもせずに過ごす」と決めてしまう。
それって、実はすごく贅沢な選択です。
他人に評価されない時間、自分だけのための時間。
それを持てるということは、心が安定している証でもあると思います。
僕自身も、何かに追われているように感じていた時期には、
「何もしない時間」に罪悪感がありました。
でも、ある日、気づいたんです。
「何もしない=自分を整える時間」
頑張る日があるからこそ、休む日が生きる。
何もしない日は、次に動くための“チャージ”でもあるんですよね。
おわりに
「今日、何もしていないなぁ」と思う日もあります。
でも、そんな日ほど、静かに満ちてくる安心感や、心のゆとりを感じたりします。
自分の内側に耳を傾けるための“空白の時間”。
何もない日が、実は一番の“ご褒美”だったりする。
だからこそ、僕はこれからも「何もしない日」を、ちゃんとつくっていきたい。
そしてその時間を、堂々と「幸せな日」と呼びたいと思います。
それではまた次の投稿でお会いしましょ〜
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~
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おはようございます!!
「なんか気になる…」の正体、考えてみました。
街中や職場、SNSでも、「この人なんか惹かれるな」と感じる瞬間ってありませんか?
モデルのように美形でもなければ、特別派手なことをしてるわけでもないのに、
なぜか目が離せない。言葉にできないけど、何か惹きつけられてしまう。
今回はそんな「なぜか惹かれる人」の共通点について、いくつかの角度から考えてみました。
① 自分の“軸”を持っている
誰かの価値観に流されすぎず、自分なりの考えを持っている人は、静かな強さがあります。
たとえば「私はこれが好き」「これが大事だと思ってる」
と言える人。
それはSNSの発信や、日常のちょっとした言動にも現れていて、
自然と信頼感や安心感を生みます。
「好きなものを語ってるときの熱量」は、どんな言葉よりも人を惹きつける力があるんですよね。
② 他人に興味がある
惹かれる人って、“自分の話ばかりしない”んです。
相手に関心をもち、「それ、どういうこと?」「面白いね」と、リアクションがある。
その「聞く力」があるからこそ、一緒にいて心地よく、また会いたくなるんです。
しかも、不自然に“取り繕ってる感”がなく、素直に興味を持っているからこそ、好感がもてる。
③ 余裕がある
時間にも心にも「余白」がある人って、話していて安心します。
逆に、余裕がない人って、どこかピリピリしていたり、
自分の正しさに固執していたりして、
近寄りがたい雰囲気を出しがち。
惹かれる人は、頑張っているけど「力が入りすぎてない」。
“ちゃんとやるけど、無理しすぎない”という絶妙なバランスで生きている気がします。
④ 失敗や弱さを隠さない
完璧すぎる人よりも、ちょっと抜けてたり、
「ここが苦手なんです」と言える人のほうが、なぜか魅力的だったりしますよね。
なぜかというと、人は“共感”できる対象に惹かれるから。
弱さを隠さず話せるということは、自分を受け入れてる証拠。
そういう人は、どこか余裕があって、相手にも優しくできる。
⑤ 自分の世界を持っている
「この人って、自分のペースで人生楽しんでるなぁ」と感じる人っています。
趣味に没頭していたり、休日の過ごし方にこだわりがあったり。
そういう人は、“日常”をちゃんと楽しめているから、
見ていてなんだか気持ちいい。
その世界観は言葉じゃなくても伝わるし、SNSでもリアルでも、
人を自然と惹きつける魅力になっていきます。
結局、“惹かれる”ってなに?
「なぜか惹かれる」というのは、意外と小さなことの積み重ねなのかもしれません。
自分に正直であること 他人にも寛容であること 無理しすぎず、ちゃんと生きていること
そんな人の姿勢そのものに、「憧れ」や「安心」や「共感」を感じるのかも。
おわりに
もしかしたら、「惹かれる人になろう」と思って頑張るよりも、
自分の“好き”を大事にして、素直に人と関わることのほうが、
ずっと魅力的な人生への近道かもしれません。
「なんかこの人、好きだなぁ」と言われるような自分でいられるように、
今日も一歩、自分らしく生きていこうと思います。
それではまた次の投稿でお会いしましょう〜
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~
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おはようございます☀️
なんと、1ヶ月毎日ブログ更新を達成したkouです!
まだまだ続けていきますので、これからも読みに来てくださいね✌️😌
最近、何かと耳にする言葉がある。「ガチ勢」。
ゲーム、アニメ、スポーツ、筋トレ、キャンプ、推し活…
どんなジャンルでも、ある一定の熱量で取り組んでいる人に対して
「ガチ勢」というレッテルが貼られる。
最初は、単なる“本気でやってる人”って意味くらいで受け止めていた。
でもあるとき、自分が好きでやっていることに対して
「うわ、それガチ勢ですね〜」
と軽いノリで言われた瞬間、妙な違和感が胸の奥に残った。
たぶん、それって「本気をちょっと遠巻きに見てる言葉」だからなんだと思う。
本気でやることが、なぜか浮いてしまう
たとえば、僕はブログを書くのが好きだ。
時間を見つけては書いて、投稿して、たまに伸びるとニヤッとして、
うまくいかなくてもまた挑戦して。
でも、ある人に「そんなに更新してるんだ?ガチ勢やん(笑)」と言われた時、
ほんの少しだけ、熱が冷めたような気がした。
もちろん、悪気がないのは分かってる。
でも「ガチ勢」という言葉の裏には、どこか「そこまでしなくてもいいのに」
というニュアンスがあるように感じてしまうんだ。
“本気で楽しむ”って、実はすごく尊い
僕は、何かに熱中している人を見るのが好きだ。
自作キーボードに命をかけてる人
1杯のコーヒーを淹れるために豆からこだわる人
ダンスの1ステップに何時間も費やす人…。
そういう人たちの瞳って、すごく真っ直ぐで、眩しい。
そんな姿を「ガチ勢」でくくるのって、もったいないと思う。
だって、何かを“本気で好き”でいるって、ものすごく難しいことだから。
本気には理由がある
昔、僕がある分野でコツコツ頑張ってた時期がある。
誰も注目してなかったし、成果も見えなかったけど、それでも続けた。
「誰かに見られてるから」とか「評価されたいから」じゃなくて、
「やりたいからやってる」だけだった。
その時も、何人かに言われた。「あいつ、ガチすぎてちょっと引くわ」って。
でも思うんです。
「ガチ」とか「オタク」とか「変わってる」って言葉って、
本当は“よく知らないものを距離置いて見てる”だけなんじゃないかって。
もしも、心の底から何かを好きでいる人のことを、
“ガチ勢”って軽く呼ぶことで、自分の無関心を正当化してるとしたら、ちょっと寂しいよね。
僕は“ガチ”でいたい
たとえ「ガチ勢」と言われても、僕はこれからも本気でいたい。
ブログも、仕事も、人との関わりも。
興味があることには深く潜って、自分の好きに忠実でいたいと思う。
それがちょっと浮いて見えてもいい。
「引かれる」と思われても構わない。
誰かが真剣に打ち込んでるものを、僕はちゃんと尊敬していたいし、
そんな人たちと繋がっていたい。
最後に
“ガチ勢”という言葉に、僕がなぜモヤモヤしていたのか。
それは、言葉がラベルになって、本気の中身を見えなくしてしまうからだと思う。
本気には、その人だけの物語がある。
苦しさも、楽しさも、全部を通って「好き」が続いてる。
そういう気持ちに、僕はちゃんと向き合っていたい。
だから今日も、ブログを書く。
僕にとってそれは、“ガチ”じゃなくて、“好き”だから。
それではまた次の投稿でお会いしましょ〜
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~