2025年7月29日
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おはようございます🌤

 

今回は、今話題のテーマ「Z世代の幸福の定義」について掘り下げてみたいと思います。

 

 

まず、Z世代って?

 

Z世代とは、1990年代後半〜2010年頃に生まれた世代を指します。

現在、10代後半〜20代半ばくらいの若者たちですね。

物心ついた頃からインターネットやスマホが存在し、SNSやYouTube、

サブスク、リモート、ジェンダーフリー、SDGsなど、情報と選択肢に溢れた環境で育ってきました。

「効率よく、でも自分らしく」

そんなバランス感覚を持ち、価値観も多様で柔軟。

だからこそ、Z世代の“幸福”の定義は、過去の世代と比べてかなり変化してきています。

 

 

「正解」よりも「納得感」

 

昭和・平成初期の時代、幸福とは「いい大学→安定した就職→結婚→マイホーム→老後安心」

のような“人生のテンプレ”に乗ることが安心とされていました。love-6600904_1280

でもZ世代は違います。

大切なのは「自分で納得できる人生かどうか」。

SNSでさまざまな生き方や価値観を見てきたZ世代にとって、

「正解のある人生」より「自分なりの納得解」を探すことの方が重要なんです。

 

 

Z世代が感じる「幸せ」の瞬間とは?

 

① 好きなことに夢中になれている時間

→ ゲーム、推し活、アート、音楽、動画編集、DIY…

趣味や好きなことにどっぷりハマれる時間は、Z世代にとってかけがえのない「幸せ」。

評価や効率より、「今この瞬間、楽しめてるか」が基準です。

 

② 心地よい人間関係

→ 無理に大人数で群れなくても、気の合う数人で深くつながれればOK。

「安心できる」「否定されない」「自然体でいられる」関係こそがZ世代の幸せの土台。

 

③ 精神的な自由

→ 他人と比べず、自分のペースで生きられること。

「〇〇すべき」よりも「私はこれでいい」が通じる環境で生きたい、という願いが強いです。

 

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幸福の定義は「変化してOK」

 

Z世代の幸福観には「柔軟性」があります。

・高校生のときは「部活で活躍するのが幸せ」

・大学では「好きな分野を研究できるのが幸せ」

・社会人になると「心身が健康で暮らせるのが幸せ」

…というように、その時々で“幸せのかたち”は変わっていい。

むしろ、「変わること=成長」だと自然に受け入れられるのがZ世代の特徴。

 

 

幸せを「定義しない自由」もある

 

さらに最近は、「無理に幸せを定義しなくていい」という考え方も支持されています。elijah-hiett-qtDHRLh5GOE-unsplash

「何が幸せかなんて、決めなくても、今いい気分ならそれでいい」

「今日の空がきれいだった、それで十分」

というミニマルな感覚がZ世代にはしっくりきたりもします。

 

 

SNSが与える影響

 

Z世代の幸福観に大きく影響しているのがSNS。

SNSにはポジティブな影響もあれば、ネガティブな面もあります。

  • 共感の力:「自分だけじゃない」と思えることで救われる

  • 情報の多様性:さまざまな生き方や価値観に触れられる

  • 比較による不安:「あの人みたいになれない」プレッシャー

このバランスの中で、「自分らしい幸せ」を模索する力が求められます。

 

 

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じゃあ、「Z世代的幸福」って一言で言うと?

 

「自分が納得できる生き方ができていて、安心して過ごせること」

これがZ世代にとっての“幸福の本質”かもしれません。

人と比べすぎず、自分の心の声に耳を傾けながら、

ゆるやかに、そしてたまには立ち止まりながら歩んでいく。

そんなスタイルが、これからの時代のスタンダードになっていく気がします。

 

あなたにとっての「幸福」って何ですか?

答えはひとつじゃないし、途中で変わってもいい。

だからこそ、ゆっくり考えてみてもいいのかもしれませんね。

 

 

 

それではまた次の投稿でお会いしましょう〜

 

 

アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

2025年7月28日
ブログ

 社会人になって、もう数年が経ちました。

 

学生時代とは違って、日々の生活は「自分の責任で動く」ことの連続です。

 

朝起きる時間から始まり、仕事の進め方、despaired-2261021_1280

人との関わり方、お金の使い方、休み方まで、

 

すべて自分で選び、行動して、結果が返ってきます。

 

そんな中で、僕が社会人になって特に強く感じたのは、

「自分にしかできないこと」を持つことの大切さです。

そしてもう一つ、「他の人が帰って休んでいる時間にどれだけ自分に向き合えるか」が、

未来の自分を作っていくということ。

 

今日は、そんな自分の気づきを少し言葉にしてみたいと思います。

 

 

「仕事」は「やることリスト」じゃない

 

学生時代、課題やテストは「やることリスト」みたいなものだったと思います。typing-849806_1280

出されたものを、期限内に提出して終わり。

でも社会人になると、目の前の仕事は終わらせるだけじゃ足りません。

例えば僕は建設業界の「積算」という業務を担当しています。(まだ勉強中です笑)

 

見積もりや原価の計算、コスト管理など、いわゆる「裏方」で支える仕事。

これをすることにより、公共工事の入札金額を決めることができ、

落札できると、仕事を取ってくることが出来るんです。

地味だけど責任が重い役割です。

 

この仕事をやっていて思うのは、「ただやる」だけでは足りないということ。

設計した人の意図を汲み取り、一つ一つ金額を積み上げていき、

一つも間違うことが許されない。

そんな緊張感のもとやっています。 ←この緊張感大事

これって、どの仕事にも共通することじゃないかなと思います。

ただの作業を「仕事」に変えるのは、自分の視点と想像力です。

今、皆さんの仕事 緊張感ありますか? 

常に考えて行動してますか?

思うところがありましたら今からでも変えてみてください😁

 

 

「人が休んでる時にやったこと」は、必ず自信になる

 

そしてもうひとつ。僕が社会人になって本当に良かったと思うのは、

「人が休んでる時にやったこと」が、ちゃんと自分の中に“成果”として積み上がっていること。

現場の仕事が忙しい時期、現場が動いていない夜や休日に、

一人でこつこつと積算と向き合い、数字を見直していたことがあります。

もちろん、誰に褒められるわけでも、報酬が増えるわけでもない。

けれどあの時の積み重ねが、今の自分の“確実な土台”になっていることを、ふとした時に実感するんです。

 

それともうひとつ、僕はその合間にブログも書き続けていました。kendal-percimoney-9_8GtfK1a3w-unsplash

周囲が帰宅してNetflixやゲームでリフレッシュしている時間。

僕は自分の思考を言葉にして、深夜までPCに向かっていました。

最初は全然読まれなかった。でも、続けているうちに少しずつ読者が増え、

いつしか「ブログ面白かった!!」「もっと更新してよ!」「このkouって人誰?」

と感想をもらったりするようになったんです。

 

嬉しいですね(笑)

 

この「誰も見ていないところで努力すること」の価値って、

社会人になって初めて本当の意味で分かりました。

 

「自分だけの強み」は、ある日突然光る

 

人と比べることは簡単です。welding-9370143_1280

同期の中で昇進が早い人、要領の良い人、プライベートも充実してそうな人…。

正直、焦ることもあります。

でも、自分が選んだ「積算」というちょっと地味な仕事、

そして「ブログ更新」という一見無関係な趣味。

この2つを真面目に続けていたことで、ある時「あれ?これ、意外と他の人にはできないことかも」

と思う瞬間がありました。

 

実際、誰かに仕事を教える時、ブログで鍛えた文章力が活かされていると感じます。

もともと人と対面して話すのが得意な方ではなかったので(笑)

「自分にしかできないこと」は、最初はただの「好きなこと」「得意なこと」かもしれません。

でもそれを人が見ていないところで磨いていたら、ある日突然、ちゃんと光るんです。

 

社会人になって感じた「幸せ」の形

 

社会人生活は、決して楽なものではありません。

でも、責任と自由の中で、「自分の人生を自分で作っている」という感覚が少しずつ育ってきたのは、

確かに幸せなことだなと感じています。

 

忙しくても、ちゃんとご飯を食べて、

週末に好きな本を読んで、

ふとした瞬間にブログを書く。

たまに何百人もの人に読まれて驚いたり、「また更新楽しみにしてます」なんて言われることがあったり。

 

そのすべてが、自分の人生の「手応え」になっています。

 

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最後に

 

社会人になるって、ある意味では“孤独な戦い”です。

でもその中で、

自分だけの武器を持って、自分だけの時間の使い方をして

自分だけの道を進んでいけたら――

それはとても強いことだと思います。

 

あなたにしかできないことは、きっともう始まってる。

 

そのことに気づけたら、社会人って案外悪くないかもしれません。

これを読んでくれてる新社会人の皆さん

きついことも沢山あると思います。

ですが、自分らしさ、自分にしかない武器を見つけて、行動すると

これからの人生180°変わると思います🍀*゜

 

頑張っていきましょ〜💪🔥

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます😊

また見に来てください!!

 

 

それではまた次の投稿でお会いしましょ〜

 

 

アデュー!! (~ ̄▽ ̄)~

2025年7月27日
ブログ

おはようございます! 

 

 

 

何もしてない日が一番幸せだったりする

 

何かを成し遂げた日、目標を達成した日、

予定を詰め込んで走り抜けた日──

 

そんな日はもちろん、充実していると感じます。

でも、ふとしたときに思うんです。

 

「今日、一日なにもしてない。でも、なんか幸せかも」

 

そんな日が、案外いちばん心に残ったりしませんか?

なにもしないこと=悪いこと、じゃない

僕たちはつい、「なにもしていない自分」を責めがちです。

 

SNSを開けば、誰かが旅行に行き、勉強し、jumping-2000244_1280

副業に励み、自炊のレパートリーを増やしている。

そんな投稿を見ていると、つい自分を比べてしまいます。

 

「今日は寝てばっかりだった…」

「ダラダラして、何の成果もない…」

 

そう落ち込んでしまう人も少なくないはずです。

でも、実は“なにもしない時間”って、僕たちにとってとても大切なんです。

脳は「ぼーっとしてるとき」に整理される

 

心理学や脳科学の研究では、意識的に活動している時間よりも、

“ぼーっとしている時間”のほうが脳の情報処理が進んでいることがあるとされています。

いわば、何もしてない時間は「心の掃除」や「脳のメンテナンス」。

リラックスして、散歩したり、空を見たり、コーヒーを飲んだりしているときにこそ、

アイデアが浮かんだり、自分の本音に気づけたりします。

焦って詰め込むより、一度手を止めて“空白”をつくること。

それは、自分自身と向き合うための、大切な「余白」なのかもしれません。

 

幸せって、特別なことじゃない

 

日常の中にあるささやかな幸せ。

 

・昼過ぎまで寝て、静かな午後に目が覚めるzihao-li-c2m6z8Y68-I-unsplash

・カーテンの隙間から光が入って、部屋がぽかぽかする

・お気に入りの紅茶を飲みながら、何も考えずにYouTubeを眺める

・ベランダでぼーっと空を見上げる

 

こうした時間って、「何をしたか」よりも、「どう感じたか」が大事なんだと気づかされます。

生きていくうえで、成果や努力はもちろん大事。

でも、「幸せ」は、いつも隣にあるものかもしれません。

“何もしない”を、もっと堂々とやっていい

たまにはスマホも閉じて、誰にも連絡せず、予定も立てず、

「今日はなにもせずに過ごす」と決めてしまう。

それって、実はすごく贅沢な選択です。

他人に評価されない時間、自分だけのための時間。

それを持てるということは、心が安定している証でもあると思います。

 

僕自身も、何かに追われているように感じていた時期には、

「何もしない時間」に罪悪感がありました。

でも、ある日、気づいたんです。

「何もしない=自分を整える時間」

頑張る日があるからこそ、休む日が生きる。

何もしない日は、次に動くための“チャージ”でもあるんですよね。

 

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おわりに

 

「今日、何もしていないなぁ」と思う日もあります。

でも、そんな日ほど、静かに満ちてくる安心感や、心のゆとりを感じたりします。

自分の内側に耳を傾けるための“空白の時間”。

何もない日が、実は一番の“ご褒美”だったりする。

だからこそ、僕はこれからも「何もしない日」を、ちゃんとつくっていきたい。

そしてその時間を、堂々と「幸せな日」と呼びたいと思います。

 

 

 

それではまた次の投稿でお会いしましょ〜

 

 

 

アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

2025年7月26日
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おはようございます!!

 

 

 

「なんか気になる…」の正体、考えてみました。

 

街中や職場、SNSでも、「この人なんか惹かれるな」と感じる瞬間ってありませんか?

 

モデルのように美形でもなければ、特別派手なことをしてるわけでもないのに、

なぜか目が離せない。言葉にできないけど、何か惹きつけられてしまう。

 

今回はそんな「なぜか惹かれる人」の共通点について、いくつかの角度から考えてみました。

 

 

 

① 自分の“軸”を持っている

 

誰かの価値観に流されすぎず、自分なりの考えを持っている人は、静かな強さがあります。motion-7831456_1280

 

たとえば「私はこれが好き」「これが大事だと思ってる」

と言える人。

それはSNSの発信や、日常のちょっとした言動にも現れていて、

自然と信頼感や安心感を生みます。

「好きなものを語ってるときの熱量」は、どんな言葉よりも人を惹きつける力があるんですよね。

 

 

 

② 他人に興味がある

 

惹かれる人って、“自分の話ばかりしない”んです。

相手に関心をもち、「それ、どういうこと?」「面白いね」と、リアクションがある。

その「聞く力」があるからこそ、一緒にいて心地よく、また会いたくなるんです。

しかも、不自然に“取り繕ってる感”がなく、素直に興味を持っているからこそ、好感がもてる。

 

 

 

③ 余裕がある

 

時間にも心にも「余白」がある人って、話していて安心します。night-1927265_1280

逆に、余裕がない人って、どこかピリピリしていたり、

自分の正しさに固執していたりして、

近寄りがたい雰囲気を出しがち。

惹かれる人は、頑張っているけど「力が入りすぎてない」。

“ちゃんとやるけど、無理しすぎない”という絶妙なバランスで生きている気がします。

 

 

 

④ 失敗や弱さを隠さない

 

完璧すぎる人よりも、ちょっと抜けてたり、

「ここが苦手なんです」と言える人のほうが、なぜか魅力的だったりしますよね。

なぜかというと、人は“共感”できる対象に惹かれるから。

弱さを隠さず話せるということは、自分を受け入れてる証拠。

そういう人は、どこか余裕があって、相手にも優しくできる。

 

 

 

⑤ 自分の世界を持っている

 

「この人って、自分のペースで人生楽しんでるなぁ」と感じる人っています。balance-6157258_1280

趣味に没頭していたり、休日の過ごし方にこだわりがあったり。

そういう人は、“日常”をちゃんと楽しめているから、

見ていてなんだか気持ちいい。

その世界観は言葉じゃなくても伝わるし、SNSでもリアルでも、

人を自然と惹きつける魅力になっていきます。

 

 

結局、“惹かれる”ってなに?

 

「なぜか惹かれる」というのは、意外と小さなことの積み重ねなのかもしれません。

自分に正直であること 他人にも寛容であること 無理しすぎず、ちゃんと生きていること

そんな人の姿勢そのものに、「憧れ」や「安心」や「共感」を感じるのかも。

 

 

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おわりに

 

もしかしたら、「惹かれる人になろう」と思って頑張るよりも、

自分の“好き”を大事にして、素直に人と関わることのほうが、

ずっと魅力的な人生への近道かもしれません。

「なんかこの人、好きだなぁ」と言われるような自分でいられるように、

今日も一歩、自分らしく生きていこうと思います。

 

 

 

 

 

それではまた次の投稿でお会いしましょう〜

 

 

 

アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

2025年7月25日
ブログ

おはようございます☀️

 

なんと、1ヶ月毎日ブログ更新を達成したkouです!

 

まだまだ続けていきますので、これからも読みに来てくださいね✌️😌

 

 

 

 

最近、何かと耳にする言葉がある。「ガチ勢」。

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ゲーム、アニメ、スポーツ、筋トレ、キャンプ、推し活…

どんなジャンルでも、ある一定の熱量で取り組んでいる人に対して

「ガチ勢」というレッテルが貼られる。

 

最初は、単なる“本気でやってる人”って意味くらいで受け止めていた。

でもあるとき、自分が好きでやっていることに対して

「うわ、それガチ勢ですね〜」

と軽いノリで言われた瞬間、妙な違和感が胸の奥に残った。

 

たぶん、それって「本気をちょっと遠巻きに見てる言葉」だからなんだと思う。

本気でやることが、なぜか浮いてしまう

 

たとえば、僕はブログを書くのが好きだ。

 

時間を見つけては書いて、投稿して、たまに伸びるとニヤッとして、

うまくいかなくてもまた挑戦して。

でも、ある人に「そんなに更新してるんだ?ガチ勢やん(笑)」と言われた時、

ほんの少しだけ、熱が冷めたような気がした。

 

もちろん、悪気がないのは分かってる。

 

でも「ガチ勢」という言葉の裏には、どこか「そこまでしなくてもいいのに」

というニュアンスがあるように感じてしまうんだ。

 

“本気で楽しむ”って、実はすごく尊い

 

僕は、何かに熱中している人を見るのが好きだ。kobe-clata-jOni1x4kI0o-unsplash

 

自作キーボードに命をかけてる人

1杯のコーヒーを淹れるために豆からこだわる人

ダンスの1ステップに何時間も費やす人…。

 

そういう人たちの瞳って、すごく真っ直ぐで、眩しい。

そんな姿を「ガチ勢」でくくるのって、もったいないと思う。

だって、何かを“本気で好き”でいるって、ものすごく難しいことだから。

 

本気には理由がある

 

昔、僕がある分野でコツコツ頑張ってた時期がある。

誰も注目してなかったし、成果も見えなかったけど、それでも続けた。

「誰かに見られてるから」とか「評価されたいから」じゃなくて、

「やりたいからやってる」だけだった。

その時も、何人かに言われた。「あいつ、ガチすぎてちょっと引くわ」って。masjid-maba-KS__5nTFn-M-unsplash

でも思うんです。

「ガチ」とか「オタク」とか「変わってる」って言葉って、

本当は“よく知らないものを距離置いて見てる”だけなんじゃないかって。

 

もしも、心の底から何かを好きでいる人のことを、

“ガチ勢”って軽く呼ぶことで、自分の無関心を正当化してるとしたら、ちょっと寂しいよね。

 

僕は“ガチ”でいたい

 

たとえ「ガチ勢」と言われても、僕はこれからも本気でいたい。

ブログも、仕事も、人との関わりも。

興味があることには深く潜って、自分の好きに忠実でいたいと思う。

それがちょっと浮いて見えてもいい。

「引かれる」と思われても構わない。

誰かが真剣に打ち込んでるものを、僕はちゃんと尊敬していたいし、

そんな人たちと繋がっていたい。

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最後に

 

“ガチ勢”という言葉に、僕がなぜモヤモヤしていたのか。

それは、言葉がラベルになって、本気の中身を見えなくしてしまうからだと思う。

 

本気には、その人だけの物語がある。

苦しさも、楽しさも、全部を通って「好き」が続いてる。

そういう気持ちに、僕はちゃんと向き合っていたい。

だから今日も、ブログを書く。

僕にとってそれは、“ガチ”じゃなくて、“好き”だから。

 

 

 

 

それではまた次の投稿でお会いしましょ〜

 

 

 

アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

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