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ある日突然、自分の投稿がSNSでバズる──
正直、それって「夢みたいな話」だと思っていました。
でも、あの日は違った。
何気なく投稿した1本の動画が、まさかの何百万回再生。
「いいね」の通知が止まらず、フォロワーも一晩で10倍に。
バズった瞬間のあの“非日常”は、今でも鮮明に覚えています。
けれど、同時にそれは「意外な出来事の始まり」でもありました。
嬉しさよりも、戸惑いが先に来た
バズるって、もっと純粋に嬉しいものだと思っていました。
もちろん、「え、すごい!」「やった!」という感情もあったんですが、
それと同時にスマホが鳴り続ける現実に、正直ちょっと怖くなりました。
通知が止まらない。知らない人からのDM。
「この曲何ですか?」「どこの場所?」「もっと詳しく教えて」──。
一気に「見られている感覚」が強まって、投稿したこと自体を一瞬だけ後悔したくらい。
「インフルエンサーって、すごいストレスの中でやってるんだな…」
と、はじめてその気持ちが分かった瞬間でした。
いきなり現れる〖評論家たち〗
意外だったのが、「突然の批評」。
コメント欄に寄せられた意見の中には、
「こういうの飽きた」
「またこのネタかよ」
「〇〇のパクリ?」などの批判も。
悪意があるというより、“距離の近い観客”からのリアルな声。
それまでは仲の良いフォロワーだけに囲まれていたので、
初対面の人からの厳しいコメントにちょっとショックを受けました。
でも、その中には「なるほど、たしかにそうかも」と思えるものもあって。
ある意味、自分の表現の“伸びしろ”に気づけた瞬間でもありました。
「本当に見せたい自分」ってなんだろう?と悩み始める
いちばん意外だったのは、ここです。
バズった動画の路線が「たまたまウケただけ」の内容だったので、
そのあと「次も似たような内容にするべきか?」と悩み始めました。
・ウケる路線を続けるか
・自分が本当に発信したいものを優先するか
バズる=成功、と単純には言えない。
むしろ、バズった後こそ、自分の方向性を再確認する必要が出てくる。
数字に追われて苦しくなる人も多い、っていう話…
「ほんとだな」って思いました。
でも、やっぱり「伝わる」って嬉しい
一方で、良い意味で“意外だったこと”もありました。
コメントで「元気が出た!」「これで救われました」と言ってくれる人がいたこと。
自分の言葉や映像が、誰かの日常の中で、ほんの少しでも役に立った。
それって、すごいことだなと思いました。
SNSって、不特定多数に届く場所だからこそ、
どこかの誰かが、ちゃんと受け取ってくれてる。
その実感があると、「また発信しよう」と前向きになれます。
バズって気づいた、〖等身大の自分〗の価値
バズったことで、
自分を大きく見せようとしたり、背伸びしようとした瞬間もありました。
でも結局、それって疲れるんですよね。
いろんな反応があったけど、
「自分らしく発信するのがいちばん続く」ってことにも改めて気づきました。
バズらなくても、誰かひとりが「いいな」と思ってくれたら、それで充分。
その積み重ねの先に、また“意外な出来事”が待っているのかもしれません。
最後に
SNSでバズった経験は、確かに特別な体験でした。
けれど、そこで感じたのは「数字の魔力」よりも、
「伝わることの温かさ」や「自分らしさの大切さ」でした。
バズることは目的ではなくて、
あくまで通過点。
その後、どう発信し続けていくかのほうが、実はもっと重要なんです。
今も日々、試行錯誤しながらSNSを続けています。
きっとこれからも迷ったり、立ち止まったりすることがあると思います。
でもそのたびに、あの日の“意外な体験”を思い出して、前を向こうと思います。
それでは、また次の投稿でお会いしましょう~
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

kou.

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