ブログ
おはようございます☀️
なんと、1ヶ月毎日ブログ更新を達成したkouです!
まだまだ続けていきますので、これからも読みに来てくださいね✌️😌
最近、何かと耳にする言葉がある。「ガチ勢」。
ゲーム、アニメ、スポーツ、筋トレ、キャンプ、推し活…
どんなジャンルでも、ある一定の熱量で取り組んでいる人に対して
「ガチ勢」というレッテルが貼られる。
最初は、単なる“本気でやってる人”って意味くらいで受け止めていた。
でもあるとき、自分が好きでやっていることに対して
「うわ、それガチ勢ですね〜」
と軽いノリで言われた瞬間、妙な違和感が胸の奥に残った。
たぶん、それって「本気をちょっと遠巻きに見てる言葉」だからなんだと思う。
本気でやることが、なぜか浮いてしまう
たとえば、僕はブログを書くのが好きだ。
時間を見つけては書いて、投稿して、たまに伸びるとニヤッとして、
うまくいかなくてもまた挑戦して。
でも、ある人に「そんなに更新してるんだ?ガチ勢やん(笑)」と言われた時、
ほんの少しだけ、熱が冷めたような気がした。
もちろん、悪気がないのは分かってる。
でも「ガチ勢」という言葉の裏には、どこか「そこまでしなくてもいいのに」
というニュアンスがあるように感じてしまうんだ。
“本気で楽しむ”って、実はすごく尊い
僕は、何かに熱中している人を見るのが好きだ。
自作キーボードに命をかけてる人
1杯のコーヒーを淹れるために豆からこだわる人
ダンスの1ステップに何時間も費やす人…。
そういう人たちの瞳って、すごく真っ直ぐで、眩しい。
そんな姿を「ガチ勢」でくくるのって、もったいないと思う。
だって、何かを“本気で好き”でいるって、ものすごく難しいことだから。
本気には理由がある
昔、僕がある分野でコツコツ頑張ってた時期がある。
誰も注目してなかったし、成果も見えなかったけど、それでも続けた。
「誰かに見られてるから」とか「評価されたいから」じゃなくて、
「やりたいからやってる」だけだった。
その時も、何人かに言われた。「あいつ、ガチすぎてちょっと引くわ」って。
でも思うんです。
「ガチ」とか「オタク」とか「変わってる」って言葉って、
本当は“よく知らないものを距離置いて見てる”だけなんじゃないかって。
もしも、心の底から何かを好きでいる人のことを、
“ガチ勢”って軽く呼ぶことで、自分の無関心を正当化してるとしたら、ちょっと寂しいよね。
僕は“ガチ”でいたい
たとえ「ガチ勢」と言われても、僕はこれからも本気でいたい。
ブログも、仕事も、人との関わりも。
興味があることには深く潜って、自分の好きに忠実でいたいと思う。
それがちょっと浮いて見えてもいい。
「引かれる」と思われても構わない。
誰かが真剣に打ち込んでるものを、僕はちゃんと尊敬していたいし、
そんな人たちと繋がっていたい。
最後に
“ガチ勢”という言葉に、僕がなぜモヤモヤしていたのか。
それは、言葉がラベルになって、本気の中身を見えなくしてしまうからだと思う。
本気には、その人だけの物語がある。
苦しさも、楽しさも、全部を通って「好き」が続いてる。
そういう気持ちに、僕はちゃんと向き合っていたい。
だから今日も、ブログを書く。
僕にとってそれは、“ガチ”じゃなくて、“好き”だから。
それではまた次の投稿でお会いしましょ〜
アデュー! (~ ̄▽ ̄)~

kou.

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